国際社会でモテない日本人

英語力のなさから会議で「まー重要じゃない事だから発言しなくてもいいか」と思ったり、自分の本当に言いたい事が伝わらず、会議で自分の意見が押せなかったり、理解するの時間がかかっている間に会議がどんどん決定されていく時など、自分が情けないなーと思います。。。英語力、自己主張においては、まだまだ力不足感は否めません。自分にとってはとても良い本でした。日本語の本ばかり読んでいるからでしょっと突っ込まれそうですが。ちなみに仕事環境以外は日本の生活の方が好きです。

日本人に生まれて、まあよかった

日本に生まれて、まあよかったとは思わない、日本についてネガティブな見方をする人が増えつつある。日本の主要メディアを受けて暮らしていると、頭のいい人ほど日本について不満気な口を利くようになる。日本的なもにに対しては、ネガティブに接するのがカッコいい、というような風潮がずっとはやっているうちに、この日本はぱっとしない国になってきました。日本人で恥じている人は、否定的なポーズをとることである種の時流にこびているのではないか。実は世渡り上手でずるい人達なのではないかとその真意を疑っています。インテリとは否定的な口ぶりで話す人だ。

日本人には、他人が見ていようがいまいが、恥ずべき事をしてはお天道様やご先祖様に相済まぬという感覚があります。○○系アメリカ人の中で、犯罪発生率の最も低いのは日系アメリカ人です。私はそのことを指摘して「罪の文化より恥の文化の方が上だね」とアメリカの日本学者によく冗談を言いました。

人間はその場の空気にあわせて適当なことを言う方が無難なのかもしれない。しかし、新聞などで作られた空気などをお読みになってもいいが、すくなくとも大事な時には自己の信念に従って、主体的に提案される事を切望いたします。

日本の若者が、日本を知り外国人に対して位負けずに自己主張のできる人を育て、諸外国の人をも納得させるようにしてもらいたい。外国語を学ぶ事は防衛のためでもあるのです。

日本人は、外国人に対して、ただ自己主張できないだけではなく、その場凌ぎに相手の言い分に従ってしまう。国際会議でついYESと一言ですませてしまう。自己の正義の主張をするどころか、日本は悪い国だと相手の説にうなずく。

理工系の学者は西洋の学者と対等にやりあいます。彼らにとって英語の上手下手は二儀的なことです。だが、文系の日本人が外交官との欧州が下手で腰が引けているとすれば遺憾です。それは日本が生き残れるかとう問題に関係します。

日本では平等と言うと受けがいい。落第と飛び級を復活させよ。フランスでは小学校から中学校へ進む時にクラスの3分の1くらいは留年させます。父母も子供の実力にあった教育の方を歓迎するので苦情がでません。教育の平等という理念から英語を全員に教える事になるでしょうが、全員に教えるとなると出来ない児童にあわせて授業をするから出来る子供は退屈するにちがない。「英才教育特別科学組」という題をつけようとしたら苦情が出た。エリート教育をタブー視するな。「ゆとり教育」をやらせて日本の若者の学力低下を招いた張本人である文化省の高級官僚は辞職して責任を取るべきでしょうが、聞けばぬけぬけと私立大学に天下りしている。

日本の大学入試センターでは減点主義で、過敏に間違いを恐れる習性を日本の若者につけさせてしまうのはよくない。アメリカでは正解のない問題がときどきまぜてある。解答のある問題形式の障害は弊害が世の中には正解は必ず一つあると思い込む事です。そんな教育をするから、若者が「今はこれがジャーナリズムの模範解答だ」式の考え方に追従する。

日本の若者は日本語でも、ものが上手に言えない。女の子に交際の申し込みもできない。もてない男がふえ、結婚率の低下をもたらしている。日本語で自己表現力がとぼしいくらいだから、英語ではまずます口が重くなる。今日の日本人が国際社会でもてないのは、自己表現力に欠けるから。日本人はなぜ海外でおどおどするか。それは単に外国語が下手だからだけでないのです。日本人である自分の歴史や文化に自信がもてないからです。

大学でも自分は高校で日本史を選択したから西洋史は知らなくても当たり前という顔をする者が多い。

人間は給与や栄誉の誘惑には弱い者です。しかし世間からどう思われようと言うべきことは言うという腹のすわった人がもっと世にでるべき。

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)