無頼のススメ

津波地震が起きた際には、神社に逃げろということいわれています。先祖は、神をあがめる神社は安全な場所に建てたため、災害がきても壊れない場所に神社を建てたからだといわれています。福島の津波でも、到達した浸水線をたどると、なぜか神社が現れるそうです。仙台の浪分神社(なみわけじんじゃ)は、過去に津波が押し寄せてきたときにその神社の手前で「波が分かれた」ことに由来しているそうです。

無頼のススメ
無頼とは、「頼るものなし」という覚悟のこと。自分の頭で考えるのではなく、いつも何かに寄りかかって生きようとする人には、狭量里不自由さがついて回ります。他人のいうことに左右されない、確かな姿勢というものが感じられる。人のういうことに左右されない、確かな姿勢というものが感じられる。人の言うことに左右されてばかりだと得られるものは少ない。歴史を大きく変えるような何かを推し進めた人は、みな無頼だっただろう。

他人の評価を気にせず、一人で歩いているうちに、ああ自分の足で歩けるんだという実感を大事にするようになるはず。自分一人でもやるべきことをやろうとする者がいて、それが世の中を変えていく。

他人と群れることで安心したがるのは社会的動物たる人間の一側面かもしれないが、人とつるんでばかりだと軟弱な大人にしかなれない。

ツイッターフェイスブックも面白いのかもしれないが、進んで苦痛に身をおくべき年頃の若者も、いい年をした大人も、便利にこき使われる中毒者になっていないか。スマホやネット情報に踊らされるのは、空海とは真逆で、どうでもいいことで実ちて何も得るもの無くして、虚しい。そういう生活を一度綺麗に棄て去ったら違うものが満ちてくることもあるかもわからない。

理不尽こそ人を育てる。

その人が学校で何をしたか、成績は良かった悪かったか、異性にモテたかモテなかったか、そういうモノサシに高い価値基準を置いていて、社会に出た後の人生でも、それらをずっと引きずっている。都合よく管理された学校内のことや、生徒同士でどう見られていたかなんて、言葉は悪いが「屁」みたいなものじゃないか。世の中で学校を引きずることは幼稚です。学閥にすがって要領よく出世したいなんて考えるようだったら、20年30年先に取り返しのつかないことになるのではないか。

いつの時代でも安心や安全は誰かが保証してくれるものではない。察知したらすぐに反応できる自分を作るためには、統計やデーターよりも直感をしっかり培っておかなくてはならない。
新しい技術は、自然を相手にした時にそれほど信用できるものではない。先祖たちがやろうとしなかったことを無理にしてはならない。文明に囲まれた暮らしの中で、野生の動物としての能力がだんだん薄れていくのは仕方ないとしても、それを幾らかで守る方法としては、先祖代々の言い伝えを大事にしておくことだと思います。

無頼のススメ (新潮新書)