人間はみなつねに利己的に行動する

当たり前とおもって取っている行動も、哲学的に考えないと幸福になるための選択肢をもてなくなっている可能性もあるようです。動物や自然界の生物を例にとって、自分の行動を正当化している人は一度読んでみるといいかもしれませんねー。


功利主義入門―はじめての倫理学
人から教わったルールに従うことを学ぶだけなら、犬にだってできる。我々が人としてよく生きるためには、道徳教育によって社会のルールを身につけるだけでは不十分で、誰しも一度は自分の生き方を批判的思考にさらしてみるべきではないだろうか。

論理学では「うそをつくことはなぜダメなのか」「人を殺すことはなぜダメなのか」という問いについて考えることがある。だがそれは、必ずしも嘘をつくことを勧めたり、人殺しを容認したりすることを意味しない。

ボランティアをする人は、他人を助けたい一心でやるという利他的な同期も十分に考えられる。しかし、その中には、家族や友達の目を気にして、あるいは異性の気を引くためにやる人もいるだろう。哲学者ホッブズは、人間はみなつねに利己的に行動するという。

三人の妻をもつ法的権利を認めてもらうために、「ライオンが四頭のメスをもつように、一人の男性は4人まで女性をもつことができます。一人以上のパートナーを持つ事は男性にとって自然なことなのです」と訴えた。これはおかしな主張。逆に女性が、「ちょうどメスのカマキリが交尾後に雄を殺して食べれるように、女性にとって性交後に男性を殺すことは自然なことなのです」と言われても認められない。自然から自分の都合のよいところだけをつまみぐいするわけにはいかないのだ。

「女性は男性に尽くすのが当たり前」と教えられきた女性は、そのような社会に問題を感じておらず、たとえ問題点を説明されても何が問題なのか理解できない可能性がある。それで幸福感を得られているのなら何も問題ないではないかと言うかもしれないがそうであろうか。非常に制限された環境や構造的な差別が存在する環境に育ってきた人は、その環境に適応した選好を形成してしまい、幸福になるために通常は必要だと思われる選択肢をもたなくなる可能性がある。

群衆を見てもわたしはけっして助けようとはしない。目の前に困っている人がいれば可能な範囲で助けようとする。犬や猫等の動物も助けることもある。しかし、援助を必要とする人の数が増え、それが統計的な数になると、我々はしばしば「心理的麻痺」に陥る。

我々は他人に批判してもらうことを大事にする必要がある。

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)